2008/12/21
ボリショイバレエ「白鳥の湖」1
記憶がなくなる前に取り急ぎメモだけ残しておこう★
・2回見たのですが、感想としては「‥‥‥‥‥‥‥‥グリゴロだな‥‥」の一言につきる。(笑)
ボリショイバレエのグリゴロ版白鳥は、はるーか昔にビデオで見て、〈1.王子がけっこう踊る。2.ロットバルトもたくさん踊る。3.花嫁候補達もそれぞれソロを踊る。4.黒鳥の音楽がセルゲイエフ版と違う。5.全体的に重厚で常に舞台が暗い。〉‥‥ぐらいの記憶しかなくて、最近になって結末がソ連時代のハッピーエンドから悲劇版に変わったらしいと言う予備知識はあったものの、基本的にはプティパ/イワノフ版を踏襲したロシアンクラシックな「白鳥の湖」だとばっかり思っていました。だから、初見の12/6は正直びっくりしたし、実のところかなりガッカリした。
ダイナミックでありながら情緒的でもある、ボリショイダンサーのあの正確で美しいロシアスタイルで演じられるクラシックバレエの精髄的な〈白鳥の湖」を観るつもりで行ったら、いきなりのあの『青年王子の内面葛藤を延々と描いた、せまーーくくらーーーい物語』なのだもの(苦笑)
まあ、2日間続けて観て、〈グリゴローヴィッチのバレエ〉だと分かってしまえば、いろいろなことに納得がいくし、この人はほーーんとに、ロマンスとかボーイミーツガールとかの女性的なモチーフには興味がないしヒロインにも思い入れがないんだなーと興味深くもあったのですが、「白鳥の湖」の改訂演出版としてはまったく自分の好みではない。昔、グリゴロ版『ロミジュリ』を観たときに感じたガッカリ感(ロミオとジュリエットの物語を観に行ったはずなのにティボルトとマキューシオの物語を見せられた違和感^ ^;)を思わず思い出してしまったよ。(笑)
もちろん、これは完全に好みの問題で、作品のレベルは高いとは思います。要は〈プティパ/イワノフ<グリゴローヴィッチの作家性〉が色濃く出た独自の演出だったということ。プロダクションとしての完成度は高いけど、私はまあ、このバージョンだったらもう当分観なくてもイイかな。ザハロワで観ても、オデットに人格がないのはやっぱりつまらなく感じたから。
・12/6の主演はアレクサンドロワ&シュピレフスキー。
アレクサンドロワはタイプキャストで言うとオディールはまだしもオデットは違うのでは?とは誰もが感じるほどの強い個性の持ち主ですから、逆に「彼女が何を見せてくれるのか」をすごく期待したのですが、残念ながら期待はずれ。
こういうことを書くのは大変申し訳ないのですが、まずは容姿が私にはNGでした。
彼女独特のがっちりした上半身、肩から腕の筋肉の逞しさやマッチョな足のラインを、どうしても目が受け付けない。長くしなやかな白鳥の腕と叙情的な首と語る脚を持つバレリーナだけにオデットを踊る資格があるという〈キーロフの呪縛〉は思った以上に鑑賞者としての自分をも強く縛っているのだなーと驚きました。オディールの時にはまったくこの違和感は感じなかったので、あの白鳥の白い衣裳は、思った以上に着る人間を選ぶのかもしれません。
演技的にも、彼女の個性や強いスター性から期待した「アレクサンドロワならではのオデット」というものが伝わってこなかったのがなんとなく物足りなかった。
もちろん、王子の内面物語に終始しているこのグリゴローヴィッチ版「白鳥の湖」では、オデットは生身の女性ではなく、ジークフリートの心が創り出した、いわば幻想。
彼の心にある、美しいもの、善なるもの、純粋なるものの象徴として理想の女性像に形作られているだけの存在なので、彼女に基本的に人格は無い。
だけど‥‥アレクサンドロワだからねー‥‥つい期待してしまうのですよ。
それを超えた、「アレクサンドロワにしかできないオデット」という特別な解釈や面白い表現を。
後で聞くとちょっと調子を崩していた時期だったようだし、相手が今ひとつ頼りにならないパートナーでもあったので、オデットに関しては次回に期待します。オディールは予想通り楽しかった。
シュピレフスキーはねーーーー‥‥‥‥‥‥(笑)
ああ、アルチョム、アルチョム、背中に【緩い】と書いてあるダンサー。彼が踊り出すと、空気は一気に生温くなり、テンポは崩れ、舞台は弛緩する。
ある意味、面白かったです。
この個性、私は嫌いじゃない。(笑)
えーと、真面目に言って、このグリゴロ版「白鳥の湖」のジークフリートには、彼の個性は合っているように思えました。
王子としての立ち居振る舞いがまったくなっていない(王剣を傘みたいに持つなーっ^ ^;)のも、オーラ不足も、周りの宮廷人から妙に浮いている気配なのも、たとえば「次期国王にと期待されていた正統な世継ぎである長子が急死し、急遽王城に呼ばれた田舎育ちの庶子である第2王子」とでも解釈すればなんとなく合点がいく。(笑)
そして、この王子は、弱い。
だから、ごく自然に、「ああ、悪魔ロットバルトは、この国で一番弱い人間の心に忍び寄り支配することで、この王国を手に入れようとしたんだなー」と納得できてしまった。
グリゴロ版の本来をきっちり演出通り演じ切ったウヴァーロフの舞台を観たあとでは、なるほど、ちょい違う舞台だったかもとは思いましたが(笑)、ただ単に「下手」と切り捨てるには惜しい、妙な魅力を持っているダンサーでもあるなー‥‥となんとなく感じました。
クラシックについては、たぶん、これからもあまり上手くはならない気がしますが。(笑)
続く
・2回見たのですが、感想としては「‥‥‥‥‥‥‥‥グリゴロだな‥‥」の一言につきる。(笑)
ボリショイバレエのグリゴロ版白鳥は、はるーか昔にビデオで見て、〈1.王子がけっこう踊る。2.ロットバルトもたくさん踊る。3.花嫁候補達もそれぞれソロを踊る。4.黒鳥の音楽がセルゲイエフ版と違う。5.全体的に重厚で常に舞台が暗い。〉‥‥ぐらいの記憶しかなくて、最近になって結末がソ連時代のハッピーエンドから悲劇版に変わったらしいと言う予備知識はあったものの、基本的にはプティパ/イワノフ版を踏襲したロシアンクラシックな「白鳥の湖」だとばっかり思っていました。だから、初見の12/6は正直びっくりしたし、実のところかなりガッカリした。
ダイナミックでありながら情緒的でもある、ボリショイダンサーのあの正確で美しいロシアスタイルで演じられるクラシックバレエの精髄的な〈白鳥の湖」を観るつもりで行ったら、いきなりのあの『青年王子の内面葛藤を延々と描いた、せまーーくくらーーーい物語』なのだもの(苦笑)
まあ、2日間続けて観て、〈グリゴローヴィッチのバレエ〉だと分かってしまえば、いろいろなことに納得がいくし、この人はほーーんとに、ロマンスとかボーイミーツガールとかの女性的なモチーフには興味がないしヒロインにも思い入れがないんだなーと興味深くもあったのですが、「白鳥の湖」の改訂演出版としてはまったく自分の好みではない。昔、グリゴロ版『ロミジュリ』を観たときに感じたガッカリ感(ロミオとジュリエットの物語を観に行ったはずなのにティボルトとマキューシオの物語を見せられた違和感^ ^;)を思わず思い出してしまったよ。(笑)
もちろん、これは完全に好みの問題で、作品のレベルは高いとは思います。要は〈プティパ/イワノフ<グリゴローヴィッチの作家性〉が色濃く出た独自の演出だったということ。プロダクションとしての完成度は高いけど、私はまあ、このバージョンだったらもう当分観なくてもイイかな。ザハロワで観ても、オデットに人格がないのはやっぱりつまらなく感じたから。
・12/6の主演はアレクサンドロワ&シュピレフスキー。
アレクサンドロワはタイプキャストで言うとオディールはまだしもオデットは違うのでは?とは誰もが感じるほどの強い個性の持ち主ですから、逆に「彼女が何を見せてくれるのか」をすごく期待したのですが、残念ながら期待はずれ。
こういうことを書くのは大変申し訳ないのですが、まずは容姿が私にはNGでした。
彼女独特のがっちりした上半身、肩から腕の筋肉の逞しさやマッチョな足のラインを、どうしても目が受け付けない。長くしなやかな白鳥の腕と叙情的な首と語る脚を持つバレリーナだけにオデットを踊る資格があるという〈キーロフの呪縛〉は思った以上に鑑賞者としての自分をも強く縛っているのだなーと驚きました。オディールの時にはまったくこの違和感は感じなかったので、あの白鳥の白い衣裳は、思った以上に着る人間を選ぶのかもしれません。
演技的にも、彼女の個性や強いスター性から期待した「アレクサンドロワならではのオデット」というものが伝わってこなかったのがなんとなく物足りなかった。
もちろん、王子の内面物語に終始しているこのグリゴローヴィッチ版「白鳥の湖」では、オデットは生身の女性ではなく、ジークフリートの心が創り出した、いわば幻想。
彼の心にある、美しいもの、善なるもの、純粋なるものの象徴として理想の女性像に形作られているだけの存在なので、彼女に基本的に人格は無い。
だけど‥‥アレクサンドロワだからねー‥‥つい期待してしまうのですよ。
それを超えた、「アレクサンドロワにしかできないオデット」という特別な解釈や面白い表現を。
後で聞くとちょっと調子を崩していた時期だったようだし、相手が今ひとつ頼りにならないパートナーでもあったので、オデットに関しては次回に期待します。オディールは予想通り楽しかった。
シュピレフスキーはねーーーー‥‥‥‥‥‥(笑)
ああ、アルチョム、アルチョム、背中に【緩い】と書いてあるダンサー。彼が踊り出すと、空気は一気に生温くなり、テンポは崩れ、舞台は弛緩する。
ある意味、面白かったです。
この個性、私は嫌いじゃない。(笑)
えーと、真面目に言って、このグリゴロ版「白鳥の湖」のジークフリートには、彼の個性は合っているように思えました。
王子としての立ち居振る舞いがまったくなっていない(王剣を傘みたいに持つなーっ^ ^;)のも、オーラ不足も、周りの宮廷人から妙に浮いている気配なのも、たとえば「次期国王にと期待されていた正統な世継ぎである長子が急死し、急遽王城に呼ばれた田舎育ちの庶子である第2王子」とでも解釈すればなんとなく合点がいく。(笑)
そして、この王子は、弱い。
だから、ごく自然に、「ああ、悪魔ロットバルトは、この国で一番弱い人間の心に忍び寄り支配することで、この王国を手に入れようとしたんだなー」と納得できてしまった。
グリゴロ版の本来をきっちり演出通り演じ切ったウヴァーロフの舞台を観たあとでは、なるほど、ちょい違う舞台だったかもとは思いましたが(笑)、ただ単に「下手」と切り捨てるには惜しい、妙な魅力を持っているダンサーでもあるなー‥‥となんとなく感じました。
クラシックについては、たぶん、これからもあまり上手くはならない気がしますが。(笑)
続く

まったりモードが漂ってました(笑)
>オデットに人格がない
確かにこのグリゴローヴィッチ版は王子が主役ですね。
今回の「白鳥」を観て、ああそうだったのかと納得がいったのが、夏のエトワールガラで観たルンキナのオデットです。
マチュー王子と全く心通わせないオデットで踊りなれないパートナーだからなのか、そういう役作りなのかと不思議に思っていましたが、オデットが王子が作り出した幻想、理想像とすれば、あのルンキナの一見冷たくみえた白鳥も納得です。
評判のよかったグダノフとともにルンキナも白鳥も見てみたかったな。大阪が最初ルンキナ&グダノフだったのでちょっと残念です。
シュピ、大阪もゆるゆるでしたか〜
彼の舞台姿ってイイ人そうで、けっして私嫌いじゃないんですけどね‥‥
こうなったらボリショイのネタキャラとして、この道を究めてほしいかも(笑)
> 確かにこのグリゴローヴィッチ版は王子が主役ですね。
> 今回の「白鳥」を観て、ああそうだったのかと納得がいったのが、夏のエトワールガラで観たルンキナのオデットです。
なるほど、たしかに孤高のオデットでしたね。ルンキナ。
ふーむ、あれはボリショイ版の白鳥だったからということもあるのか。
> 評判のよかったグダノフとともにルンキナも白鳥も見てみたかったな。大阪が最初ルンキナ&グダノフだったのでちょっと残念です。
うんうん、グリゴロ版のオデットは、たぶんバレリーナによっていろいろ解釈が違ったりすると思うので、皆が皆「幻影」を踊っているワケでもない気がするんですよね。なので、私もルンキナのオデットを全幕で観てみたかったです。